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【TVゲームとカカさん、あるいは「オレはまだ64が好きだ」という話】 - 64ROADSHOW焼き菓子カスタム

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【TVゲームとカカさん、あるいは「オレはまだ64が好きだ」という話】

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 最近つくづく思うコトがある。

 「ゲームを遊ぶ」というのと、「ゲームに付き合う」ちうのは、似てるようで、まるで違うんじゃないか、と。

 まあ、「何が違うの?」と聞かれたら困るんだけど(ぉぃ)。

*   *   *

 カカさんがNINTENDO64を手に入れたのは、本体発売からおよそ半年ほど後のハナシですわ。理由は「スーパーマリオ64」がそろそろ中古で出回り始めるだろう、という打算(?)……いや、「打算」ってのもなんか違うか。単純に「欲しいソフトが安くなるのを待ってた」ちうだけですね。

 そっからしばらくは、「任天堂の新作が出たら買う」という、どこにでもいそうなライトユーザーだったわけですが。

 気づいたら、カセットが300本以上になってました(えー)。

 コレが、いわゆる「ゲームに付き合う」ちうやつです。ゲームを遊ぶんじゃなくて、64というハードそのものに付き合ってる。「なんで全部集めてるの?」と聞かれたら正直困るし、「面白いから」とも言い切れないんだよな。「バトルクライマックス!」とか「PDウルトラマンバトルコレクション64」とかも積んでる(ええー)。積んでるのに、でも、手元にあることが大事というか。

 コレ、おかしいよな? と思う一方で、別におかしくもないとも感じてる。

 「ゲームは遊ぶもの」という前提で考えると確かにおかしいんだけど、「自分が青春を過ごしたハードのカセットを全部手元に置きたい」という欲求、分かる人には分かってもらえるんじゃないかな。 ←分かってもらえなかった場合どうするんだ

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 話は変わって。

 最近のゲームはグラフィックがスゴイですよ。ポリゴンがヌルヌル動いて、表情もリアルで、ライティングも凝ってて。64の時代に「マリオ64のポリゴン、すげー!」と感激してた人間からすると、「これが同じゲームという媒体なのか……」という驚きがあるわけです。

 ただ、そのグラフィックがすごくなればなるほど、逆説的に「ゲームとして面白いか」という話がうやむやになっていくような気がするのは、カカさんだけですかねー。

 『マリオストーリー』みたいに、「コマンドRPGにアクション要素を加えたことで、プレイヤーが戦闘に参加してる感が出る」というゲームシステムの工夫に感激してた時代のほうが、「新しい体験をさせてもらってる!」という感覚は強かったと思う。

 「ゲームを操作する楽しさ」に直結した工夫、ちうのかな。画面の中のキャラが命令を実行してくれる感覚じゃなく、プレイヤー自身がその世界にいるような感覚。

 そういう意味では、ファミコン時代の「主人公がすぐ死ぬ」「難しい」という不親切さも、一概に悪かったとは言えないんだよな。死ぬから緊張感があるし、クリアできた時の達成感がある。『スペランカー』のあの主人公、バカみたいにすぐ死ぬけど、あの死にやすさが「プレイヤーが世界と向き合っている」感覚を生んでいたわけで。

 難しさ、ちうのは「理不尽」と「歯ごたえ」の間にある、なんかすごくデリケートな代物なんですよね。 ←急に分かったようなコトを言い出す

*   *   *

 『ICO』をPS3版でやりなおしたとき、PS2版にあったコントローラーの振動がなくなっていたんですよ。ヨルダの手を引っ張ると「ブルブル」ってきてた、あれ。

 で、その振動がなくなっただけで、ヨルダを引っ張りまわす時の後ろめたさが全然なくなってることに気づいちゃって(ええー)。

 振動機能ひとつで、プレイヤーとヨルダの「距離感」が変わってたんですよね。触覚情報があるかどうかで、「画面の中の存在を身近に感じる」かどうかが変わる。

 グラフィックがどれだけリアルになっても、プレイヤーに伝わる「感触」がなければ、キャラクターとの距離感は生まれにくい……のかもしれない。

 「新しくて古い」という感覚を与えてくれたゲームが、カカさんはずっと好きなんですね。ファミコンのBGMのような音でありながら、仕組みは最新の法廷ドラマ、みたいな体験。古い文法で新しいことをやってる作品、ちうのかな。

 そう考えると、64のソフトを全部手元に置いておきたいというのも、「その時代のゲームと向き合った感触を手元に残しておきたい」という気持ちのあらわれなのかもしれないなー、と。

 ……まあ、「積んでるだけのカセットに哲学的な意味を後付けしてる」だけ、という見方もできますが(笑)。

 ゲームの話をするとき、つい「面白かったか・つまらなかったか」だけで語りがちなんだけど、「そのゲームで自分がどんな体験をしたか」という話の方が、ずっと豊かな気がします。どうよ?

 とか言いながら、今日も積みゲーを積み増してるカカさんなのでした(ぉぃ)。


━━と、ここまで(線より上)がすべて「カカさんがネット上でテキストサイトを始めた2000年~2020年ぐらいまでのテキストをAIに読ませたうえで、TVゲームについて書かせた文章」になります。

 言い回しや語尾とかはホームページ始めたくらいの雰囲気を漂わせつつ、あまりTVゲームにたいしてネガティブというか、傷つけないような配慮があるのは最近10年ぐらいのスタイルっすね。

 この「AIにカカの文体をまねて振り返り記事を書いてもらう」のは面白いので、色々試したいところ。
 あと「カカがやってないコンテンツについて書かせたらどうなるか?」もやらせてみたい(えー)。もしも、好意的な解説記事が出てきたら、それはAIが「カカキッシはこのコンテンツを面白い、と思ったに違いない」という事ですよね? なら試しに触ってみてもいいんじゃないかな、と。

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